和歌山市は、かつては紀伊徳川家55万石のお膝元であり、幕府中興の祖といわれる八代将軍吉宗を生んだ土地でもあります。大台ヶ原に源を発する紀ノ川が紀伊水道に流れ込む河口付近に開けた町で、海を隔てて淡路島や四国・徳島を望む、気候温暖で風光明媚なところです。現在の人口は約37万人、和歌山港の一帯にはコンビナートが形成され、南近畿では最大の商工業都市でもあります。
紀伊55万石のお膝元
和歌山県というと潮岬に代表される南紀の風景を連想される方も多いと思いますが、和歌山市は県の一番北部、つまり大阪府に隣接したところに位置しています。新大阪から特急で50分そこそこの距離ですから、ほとんど大阪経済圏の一部ともいえます。また新しい空の玄関、関西国際空港へも約30分で向かうことができます。
府県境には俎石山、札立山、飯盛山など数百メートル級の山々が連なり、依頼者様邸はその南麓が紀ノ川に向けて緩やかに下るあたりにありました。
金に糸目をつけずに建てられた家?
依頼者様邸は、約70年前に依頼者様のおじい様が建てられたものです。大阪で材木商を営んでいたおじい様が、お母様の隠居所として気候温暖で環境のいい和歌山を選ばれたそうです。昭和の初期、建築直後に撮影されたという写真が今でも保存されていましたが、周辺にはほとんど人家がなく、紀ノ川の流れを一望できる場所だったようです。
しかし当時としては驚くべきことですが、この家は鉄骨で組み上げたやぐらの上に自家用の貯水槽が載せられており、上水道が完備されていました。水洗トイレまであったということですから、当時としても相当モダンな家でした。
またコンクリート布基礎が採用されていることも、玉石の上に建物を載せる礎石構造が一般的だった当時の建物としては珍しいことでした。
もちろん材木商ですから、木材も吟味したことでしょう。十数年前に改装したときに軽量のものに葺き替えられたそうですが、元の瓦は通常のものより一回り大きく、わざわざこの家のために焼かせたものだったそうです。とにかく、語弊があるかもしれないが、「金に糸目をつけずに」建てられた家という感じでした。
敷地は約200坪あり、建物は平屋建てですが、床面積は約44坪とゆったり作られています。二人のお嬢さんたちはいずれも独立し、つい最近退職された依頼者様は、奥様と悠々自適の毎日のようです。
娘さんが阪神淡路大震災を体験した
依頼者様が地震の恐ろしさを実感したのは、下のお嬢さんがまだ大学生で西宮にマンション暮らしをしていた頃、阪神淡路大震災に遭遇したときでした。
幸い鉄筋のマンションに転居した直後だったので大被害は免れたそうですが、それまで住んでいた木造のアパートは完全に倒壊してしまったとのことでした。もし転居していなかったら、お嬢さんは無傷ではすまなかったのではないでしょうか。
もちろん鉄筋のマンションでも、室内は惨憺たるものだったようです。後かたづけを手伝いに駆けつけた依頼者様ご夫妻は、改めて地震被害の恐ろしさを実感したと言います。
とはいえ、当時まだ現職だった依頼者様は、忙しかったこともあり自分の家のことをじっくり考えることがあまりありませんでした。むしろ奥様の方が、地震や盗難対策に熱心で、依頼者様もそれに協力して日曜大工で大型家具の転倒防止金具の取り付けなどをされていました。
いつ巨大地震が起きるかわからない場所
少し時間の余裕ができた依頼者様は、ポストに入っていた耐震診断の告知チラシを見た時に、最近は和歌山地方でも東南海地震や南海地震関連のマスコミ報道が増えており、地震対策を何とかしなければと考えていたこともあり、さっそく診断を申し込むことにした。
今後の発生が予測されている東南海、南海の巨大地震もさることながら、和歌山には我が国屈指の活断層である、中央構造線が走っています。いつ阪神淡路クラス以上の直下型地震が起きても不思議ではない場所であると考えられます。